2019年 12月 28日(土)
習慣化するまでが努力、かな。
- 神屋 伸行 氏(ランニングアドバイザー) -
僕が高校の先輩である神屋さんへ「神屋さんにとって努力って何ですか?」と尋ねたときにサラッと返ってきた回答で、高校のある頃から毎日のように「勝つため」「速くなるため」の話をしたり雑談をしながら一緒に学校から帰っていたけど、がむしゃらに走っていた当時では思いつかなかった質問だし、今さらかもしれない質問へ答えてもらったので紹介しておこうかと。
部活をやっている学生、パフォーマンスを向上させるために日々トレーニングをされている人達で、「こういう努力をしてます」とアピールされる人が教室やクリニックでごく稀に参加されることがある。
一生懸命にトレーニングしていることはすごく良いことなので、そのトレーニングをしていることを悪いと言っているわけではないけど、自分から「努力をしている」と声に出してアピールするのはいかがなものかと。
(声には出さなくてもSNSにアップしてたら同じだけど…)
前職のオーナーから「頑張っているのか?」と聞かれ、「はい。」と返事をしただけで「本当に頑張っている奴は自分から頑張っているとは言わない!」と注意されたけど、確かに頑張っている人は「はい。」とか質問を肯定するような返事はしないことが多い。
そういうこともあって質問をした経緯があったけど、「習慣化するまでは心が折れそうになるけど習慣化してしまえば苦はないよ。当たり前としてやるだけし、当たり前が普通にできないなら上のレベルへは進めないよね。」と補足があった。
心が痛いような、納得せざるを得ないような言葉。
この回答を聞いて「ランニングを愛して止まない人達も考えないといけないことだよな。」と思ったわけだけど、毎日走ること(毎日ではなく定期的に走っている人もいるけど)は習慣化されているわけだから、それはもう「努力」とは言わずに「当たり前」と呼ぶほうが良いのかもしれないよね。
「3日坊主なんで…」という人もいると思うけど、習慣化するまでの間に甘い誘惑や心が折れる何かがあるから続かないだけで、その何かを見つけることができたら対策もしやすくなるんだけど。
僕が毎日2回は体重計へ乗っている理由は「体調(体重)チェック」のためで、最近始めた体温測定も「体調チェック」という目的がある。
(管理というほど厳格にやっているわけじゃない)
この目的がすごく大切で、目的(やっていること・やろうとしていることの結果)が腑に落ちた人ほど継続することができるという事実。
僕のこの習慣化された行為を聞いて参考にしようと思ったら、「それは競技をやっていたから」とか「元アスリートだから」と端から受け入れようとしていない人は腑に落ちていないだけであって、その目的がイメージできた人は翌日からすぐに実践できるようになるはずなんだけど。
そこから習慣化するまでが本人にとっての努力であり、その習慣化するまでの間に甘い誘惑や心が折れる何かを断ち切れているかどうかだし、本当に達成したい目標があるなら目標を達成するための目的だって取り組めるはず…
そうして習慣化してしまえば本人にとっては普通の行動ということ。
それとは別に、習慣化するほど普通になった良い行動を何か必要のないことで打ち消してしまうのは骨折り損。「一生懸命やってますアピール」の違和感と同時に 「せっかくの良い行動を活かすようにするべき」ではないのかな、と。
一暴十寒
そんな言葉も知っておいたほうが良いかもしれないね。