2020年 1月 4日(土)
才能は自分で作るもの。
たくさんの距離を走っても満足できるタイムで走れることが少ないという人がいて、満足できる結果に届かなかったから「走り込み不足だ」と思って練習量を増やそうとする人がいる。
圧倒的に練習の積み重ねが足りていないなら走り込み不足かもしれない。
でも、タイム基準でレースを考えるから後半の失速につながるんじゃないのかなぁ。考え方を「練習量を基準」にレースを考えたら自然と最後まで走り通せるペースになるはずだけど。
練習量を基準にするって表現しても「今はこれだけの練習をやっているから」とレースのペースを安直に考えてしまうが、その「練習量を基準にする」も少し意味が違っているから注意をしたほうがいい。
簡単な計算で走り通せるほどフルマラソンは甘い競技じゃないし、計算した通りに走り通せるんだったら後半の失速なんてそもそも起こらないから悩むこともない。
そろそろ「フルマラソンは思い通りにならないもの」ということを基準にすることをオススメする。
それでも「思い通りにならないと知ってます」とか「そんなことはわかっている」という人もいるけど、それでも考えのどこかに出場するフルマラソンのプランを立てている時点で思い通りにしようとしているってことに気づかないと。
これはレースや練習に対する考え方の話。
「才能は自分で作るもの」はまた別の話で、練習量をどれだけ増やしても、練習のやり方を変えたとしてもレースの結果は変わらないという人もいる。
それは自分自身の実力という器が「そのレベルまで」ということなので、そのレベルを超えるために練習を増やしたとしても器からこぼれていくだけだし、その器から溢れた分が疲労となり身体を痛めることになる。
そうならならいために才能という器を大きくする必要があるんじゃないのかな?
練習を増やしても速くなれないし身体を痛めるだけなら、その練習を少しでも楽してクリアできる走り方や身体を作る必要があるはず。
その才能は持って生まれたものではない。
「彼(彼女)は才能があったんだ」とか「自分には才能がない」とか言う人がいるけど、その彼(彼女)が苦労して身につけた才能を「才能があった」と簡単な表現で終わらせるのは失礼過ぎると思わないのかな?
自分自身が今よりも少しでも良くなりたいのならその才能を磨く必要があるよね。
自分自身の身体を鍛えるのは練習だけど、その身体を作るものや動かすことは練習ではないから、一つのことばかりを考えていないで根本的な部分も見直さないと。
明日(1月5日)、ランニングの基礎の基礎から見直すイベントをやるので、「今年こそは!」と思っている方はぜひご参加を。
(結局、イベント宣伝。笑)
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「なるほどね~っ!」と唸るほどの内容ですよ。
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