2020年 1月 10日(金)
「固定概念が邪魔をする!」
そういう考えを持って練習に工夫を凝らし、レースで結果を出すために最善の方法を模索する人は少なかったりする。
当然といえば当然なんだけど、「(自分よりも)走るのが速い人がやっているから」とか「誰かがやっているから」「みんなが言っているから」という理由で、それを絶対にやらないといけないことだとほとんどの人が思っている可能性があるような。
(思っていない人もいるけどね。)
この固定概念が何かということなんだけど、フルマラソンで考えるなら「距離をたくさん走らないといけない」ということが一番に挙げられるかな。
最近では「最大酸素摂取量(VO2Max)」が重要視されている傾向にあるし、「厚底シューズを履くと走れるようになる」ということもランニングを楽しんでいる人達の頭の中に刷り込まれているはず。
少し前ならドラマの影響もあって「フォアフット」が取り上げられていたよね。
この「メディアが取り上げたものはすべてが善」とする考えが少なからずあって、自分自身の結果が良くなかったのは速い(速かった)人達と比べてそれが足らなかったと思い込んでしまう人が多くいるとクリニックをしていて感じることがあって。
どこかの大会で優勝した選手や日本記録(大会記録)を更新した選手をメディアが取り上げるときに、その選手が実践している練習にスポットライトを当てて「強さの秘訣!」みたいに紹介していて、それをテレビで観たり雑誌等で読んだりする僕達は「そうなのか!」と今後の参考にしようとしていることとかがまさにそれ。
でも、それを実践してみたものの効果をいまいち感じることができなかったり、参考にした人のように結果を得られないどころか身体を痛めてしまうことだってある。
ただでさえうまく走れないレースや練習に効果が表れないものだから誰かの言ってることに懐疑的になってしまうんだけど…
それはまた別の問題だけど、速い人の練習が正しいと思ったりチームメイト(ラン友)から教えてもらったことが正しいと思って実践し続けることにも原因があって、それが新しい問題を生み出している。
その原因は「マラソン(長距離)はコツコツと継続して練習をしないといけない」と思ってしまっていることや、コツコツと練習することを「毎日毎日、1日も休まずに練習をすること」と思っていること。
何かの練習に取り組み始めたら途中でやめることはできないよね。先月から始めた◯◯とか、今日は◯km走るって決めたこととか。
心理も関係しているんだけどそれも「こうだといけない」という固定概念だし、「速い人がやっている」や「みんながやっている」も固定概念のようなものだったりする。
それはランニングに限らず、いろんなスポーツシーンでもこれまでにあったんだけど。
元プロ野球選手のイチロー氏の「振り子打法」や野茂氏の「トルネード投法」とか、サッカーで言えばメッシ選手のボールタッチとかかな。
活躍するまでは周りも否定的で誰も真似をしたがらないけど、活躍し始めると多くの人が当たり前のように真似をすることがあるよね。
それはランニングの世界でいうところの、ある選手が「距離走をたくさんした」と言えば多くの人が距離走をするようになるし、ある選手が「坂の多いところで練習を積んできました」と言えば起伏の多いところで練習をするようになること。だから「腹筋を毎日やっている」と言われたら毎日のように腹筋をやり始めたりとか。
それが悪いことというわけではないけど、それらを実践する以前に土台になる部分がしっかりと作られているからであって、それだけで速くなったり強くなったわけではないっていうことを知ってほしいな〜と。
そういったことを踏まえた上で、僕がスポーツDr.から聞いた話を紹介しておくので、これを聞いて実践するか実践しないかは本人に次第。
それはお正月の風物詩となった箱根駅伝で5区を4年連続走って区間賞を獲得し続けたという「山登りの名人」は、雨が降ると寮の階段へ行って片足を1段上へ乗せ、「これが坂道を登っているときの腕振りと同じなんだ」とやり続けた練習方法。
走ってないよ?
誰もがやらない練習方法だよ?
でも山登りの名人だよ?
どうしようね。
固定概念で余裕がなくなった知識では理解し難い練習方法だと思うんだけど。
自分自身が考える常識からは計り知れない練習や考え方を聞くと、これを「それはアスリートだから」とか「特別だったんだ」という言い訳で乗り切る人がいるけど、上記の練習方法も「アスリートだから」なの?「特別だから」なの?
違うよね。
僕は距離走をあまりやらないようにしているし、月間200kmでサブ3もしたし、僕と同じ練習でサブ3をした人もいる。
個別サポートをしている女性も距離走は夏から1本もやっていないし、走ってもウォーミングアップ後の16kmペース走だけで3時間15分台という自己ベストを出した人だっている。
月間100kmでサブ4をした女性が4人もいるし、練習方法もみんなが知っているような距離走やインターバル走という形式は一切していない人だっているし。
これは「才能があったから」という言葉ではなく、それぞれが自分にあった練習方法を自分自身で見つけ、「これが良いんだ」と思ってそれぞれが実践したからじゃないのかな。
練習はやらないといけない。必要のない練習なんてものもない。
ただ、「誰もがやっているから」という理由でやっている練習には本来の意味なんてない。
どういった思いやイメージでその練習をやっているのか。その練習が本当に効果を出しているのかどうか。
そういったことも練習をするときに考えないといけないってこと。
固定概念なんて壊しちゃえ。
自分で考える限界ですら、「ここが限界」と思ってしまう固定概念かもしれない。
すべてを鵜呑みにしてはいけないなぁ。