2020年 1月 28日(火)
練習は裏切らない、か。
本当にそうだと思っている人がどれだけいるんだろう。
確かに練習をする必要があるし、練習をした苦労の分だけ目標が達成されたときに報われるわけだけど、勝利(着順)を目指す人達にとっての目標達成は着順ということになる。だから自分が取りたかった着順以外は負けとなる。
たとえばレースで勝利を勝ち取った人がいるとする。
その人を称えて「やってきた練習は裏切らなかったということですね!」なんて表現されるけど、着順にこだわって勝負をしてきた2位以下の人達もれんしゅうをしてきたわけだから、そうなると「2位以下の人達の練習は何だったの?練習をしてきたフリだと思ってるの?」と思う。それとも「練習が足らなかったんだ」と暗に言っているのかなって。
だって、1位の人の練習は裏切ってないのなら2位以下の人達の練習は裏切ったということになるよね。
考えようによっては2位以下の選手をリスペクトしていない表現だと思うんだけどなぁ。
登録選手だろうと一般選手だろうと目標を持って出場をする人達は練習を積み重ねて大会当日を迎えているはずで、その中で身体のどこかを痛めてしまった人や体調を崩してしまう人もいるかもしれないけど、その人なりに一生懸命に練習をしてきているというわけ。
(自分は選手じゃない。現役選手じゃないと思っている人!大会へ出場している以上は選手だし現役だからね。)
スタート直前には泣きそうになるぐらいの練習を積み重ねてきて、「僕(私)はこれだけの練習をやってきたんだから大丈夫!」とやってきた練習に自信を持って走り出すわけだから、その成果が報われて「練習は裏切らない」という表現になるんだろうけど。
それが2位以下だった場合、それまでの練習は何だったのってなるでしょ?
優勝劣敗は勝負の理だから、その日その距離で一番最初にゴールをした人が優勝となるわけだけど、勝者にだけスポットライトを当てて他の選手は敗者だからあっさりと切り捨てるかのように対処する。
「〇〇選手も頑張ったんですけどね」
それはいったい誰の何に対するフォローなんだろう。
まぁ、これは登録選手のはるか高みの人達の話だから自分には関係のないことだって思うかもしれないけど、陸連登録をした選手や一般ランナーでも勝利(自己ベストを更新すること)は存在する。
記録を更新したら勝ち。
記録を更新できなかったら負け。
そう考えると大会へ出場するたびに「自己ベストを更新したい」という想いはトップ選手が大会へ出場するたびに「優勝したい」という想いと同じだし、できることなら自己ベストを出して大会を終えたいというのも納得できる。
それなら結果を出すために練習をする必要があるんじゃないのかな。
「練習してる!」と思う人もいるかもしれないけど、それが本当に自己ベストを更新するための練習なのかっていうことを考え直してみてはどうだろう。
間違った練習をすることでもパフォーマンスは確かに向上していくけど、本来の目的にそぐわない練習を積み重ねているとしたら時間をロスしているとも考えられるし、「時間をロスしていても成長しているなら良しとする」と考えたとしても時間は無限にあるわけではないし、歳を重ねていくたびに体力は低下していくことになるから同じ練習でも怪我をするリスクは上がっていく。
それでいいのかな。
練習を積み重ねているのに結果が出せない人。なぜか練習が一定期間を超えると決まって足を痛めてしまう人。思うようにモチベーションが上がらず、練習が長続きしない人。
こういった人達は「練習は裏切らない」と言えるのかな。
せっかく練習をやっているんだから、その1回の練習でも最高の成果が得られるように練習をするべきだし、その1回の練習でとびっきりの自信を身につける必要があると思うけど。
そうしたらすべての人に「練習は裏切らない」が当てはまるよね。
勝って喜ぶ人のまわりには指導者や応援をしている人達も一丸となって喜んでいるけど、負けた人達のまわりにだって指導者や応援をしている人達がいて同じように悔しがっているのも知ってほしい。
練習は裏切らないんじゃない。
練習を裏切ってしまうようなことを自分からしてしまったか、周りを走る選手に邪魔をされて練習の成果を発揮できなかったで、練習を裏切ってしまったのは自分自身という可能性もあることを忘れちゃいけない。