2020年 1月 31日(金)
誤算は無かった
- BLEACH 浦原 喜助 -
それが一番の誤算
マラソンという競技は思い描いた通りにはいかないと教室やクリニックで伝えることがあるけど、練習において目標としているペースで走りきれたからといって必ず走れるものではなく、うまく練習を積み重ねることができていないと思って走ってみたら不思議と走れることがあったりと、スタート直前までに考えていた通りに最後まで走りきれたことなんて生涯に1度か2度くらいしかない。
(競技生活は11年。競技引退後は12年。)
そんな中で思うことがいろいろあるから、こうやって「ランニングコーチ」を生業としているんだけどね。
教室やクリニックでランニングを楽しんでいる人達と会話をしていく中で、レースの終盤で失速してしまったり足を攣ってしまったりした人はもちろんのこと、大会本番に体調を合わせることができないという人達も含めて、多くの人が「…していたら」とか「…しなければ」というタラレバ話をしてくれる。
それが誤算だって思うんだけどね。
「…していたら」とか「…していなければ」と考えるということは、その時点で自分自身の考えやイメージなどの思惑に狂いが生じていて、その誤算から次なる誤算を生み出していることになるわけで。
その誤算の誤算から導き出した解決方法が「練習量の増加」だとしたら…
たいへんだ!
負のスパイラル発生!
練習をすることは大切だから練習量を増やすこと自体に異論はないけど、それが本当に課題解決に向けた対処方法なのかっていうところに疑問がある。
「後半に失速したから走り込み不足」ではなく「後半に失速したのはペース配分に間違いがあった」かもしれないわけだから、そうなると課題解決に向けた対処方法は「走り込み」ではなく「ペース配分」になるということ。
ということは「練習量の増加」を繰り返すことによって「ペース配分」に対する練習は積み重ねられたとは言い難いので、同じミスをまた繰り返すことになるかもしれない。
仮に「練習量の増加」で「後半の失速」に効果が出せたとしても、次のレベルへ進んだときに同じミスを繰り返すことになる。
…それでいいのかな。
「練習量の増加」は「練習時間の増加」を招くことになるから、レベルが上がっていくほどに練習量は増えていき、今のレベルからは想像もつかないような高みへと成長したとすると練習時間は想像をはるかに超えるものとなって…
時間って無限じゃないよね?
練習時間が増加していくことによって疲労を回復させる休養時間が短くなっていくから、疲労の回復が間に合わないまま練習時間の増加によって疲労がさらに蓄積されていき、オーバートレーニング症候群の誕生となるわけだ。
そのレベルがどれぐらいかは個人差があるものの、いずれにせよ身体を壊すことになって思うように走れなくなる。
ストレス解消や健康維持のためにと始めたランニングが結果としてストレスを溜めたり健康を害することになるんて本末転倒じゃないかな。
身体を壊さなかったとしても家族や友人達との時間が取れなくなり、家庭の崩壊を招くことや友人達との交友関係が疎遠になることだって十分に起こり得る。
そんなランニングはして欲しくないんだけどなぁ。
しっかりと自分の身の丈にあった練習強度と練習量(練習時間)で自信を積み重ねていき、自分のできる最高のパフォーマンスからペースを導き出してレースへ出場し、レースが成功したとしても失敗したとしても的確な反省や次への課題を見つけ出さないとね。
みんなが「誤算はなかった」という誤算をしないようにひとつひとつの練習を丁寧に積み重ね、ひとつでも多くの大会で好成績が残せますように。