2020年 3月 29日(日)
疲労抜きジョグっていう練習がやっぱり気になる。
走って疲れを溜めたのに、走って疲れを抜く…
まぁ、一休さんみたいなことを言っていたら嫌味に聞こえるから、「疲労を抜くための練習」について考えてみるのも良いかもしれないね。
まず、言葉の通りに「走って疲れを抜く」なら、走って疲れを溜めているのだから練習のやり方(走り方)に注意しないといけない人がいるかも。
負荷の高い練習や走る量が多かった翌日などに「疲労抜きラン」とSNSにアップしている人がいるけど、走っている距離がいつもと同じか少ない人がいて、多くの人がいつもより遅いペースで走っていることがいるように感じる。
前日の練習内容は割愛して…
いつも10kmを5分ペースで走っている人が、「疲労を抜く」といって10kmを6分ペースで走ったとすると、練習時間は通常だと50分で「疲労を抜く」と決めた日が60分になるよね。
要するにいつもより走っている時間が10分も長い!
で、ここに別の考え方をトッピング。
「運動をしていない時間=疲労が抜けていく時間」という考えをプラスしてみると、「いつもより走っている時間が10分も長い=いつもより疲労を回復する時間が10分も短い」というわけだ。
言葉を変換してみると「10kmを5分ペースで走っているのではなく、50分で10kmを走っている」になるから、「10kmを6分ペースで走ったら60分も走ることになる」と考えられる。
そうなると基準を距離から時間へ変えて「疲労を抜きたいならペースを落として、いつもと同じ時間を走る」とするのが良いかもしれないね。
学生時代の練習は追い込む練習(ポイント練習)は距離で指定されていたし、追い込まない練習(フリー)は時間で指定されていたことを思うと、一般ランナーの練習はすべてが距離基準でしかないところに問題があるかもしれない。
(だから月間走行距離を気にすることになるんだろうね)
時間で指定されると調子が良かったらペースを少し速めにしたらいいし、調子が悪いのならペースを少し落として走ればいいわけだから、自然と体調重視で生活をすることができるし、体調が整うとそれだけ質の高い練習にも取り組めるようになる。
(調子が良いと走れる距離も増える!)
それとは別に「ペースをいつもと同じに保つのであれば、走っている時間をいつもよりも少なくする」ということにもなるけど、走る強度が高くて疲れが溜まっているわけだから、いつもと同じペースで走ることは基本的にお勧めしないけどね。
(疲労を抜く練習の考え方の一つとして覚えておいてもらえたらいいかも)
ちなみに。
前日の追い込む練習ができなかったから、時間指定のある練習なのに「自分にはまだ力が足りないんだ」と時間をプラスしていた大学時代のチームメイトは、その次の日の追い込む練習ができていなかったのは言うまでもない。
そして「追い込む練習がこなせなかった」とまた練習時間を増やし、次の追い込む練習ができないという悪循環…いわゆるスランプに陥ってたわけだけど。
これは「フルマラソンの後半失速の対策は走り込みだ」と考えていることと似ているって思わない?