2020年 4月 14日(火)
走ることも確かに大切だけど…
僕が20代前半までにやってきた陸上競技は練習も大事だったけど、走ること以外にも睡眠時間の確保や身体のケアなど休養も関係していたし、学生としての本分である学業(実業団時代は通常業務)を当たり前にやってきたし、それら以外にも生活態度ですら気をつけていたことも多々ある。
特に練習に関しては走る練習以外にも「身体の使い方」や「走り方」にもトレーニングはあったし、「筋トレ」はあったけど筋力アップや耐えるためのトレーニングではなかったし、最大酸素摂取量(Vo2max)やLT値(乳酸性作業閾値)なんてものは知ってはいたけど検査をしないと数値化できないものだったから気にはしてこなかったんだけど…
そうやって考えると今のランナーはそういった数値や一番わかりやすいタイムやペースにこだわり過ぎているのではないのかな、と思ったりする。
それらが「大切ではない」と言っているわけではないのでお間違えなく!
本当に大切なことは「自分自身がどれだけ走れるか」を正確に把握していることであって、「あ…このまま走ってたら失速するな」とか「余力を残すことになってしまうな」という感覚を養うことではないのかぁ。
その結果がタイムやペースであり、そのときの状態を調べたらそれぞれの数値が高い数値を示していた、ということになるんだと思うけど。
だから、それらの数値が大切ではないわけではない。
分かりやすく言うと「優先順位が違うんじゃないのかな」ということ。
練習は「自分自身を鍛えるため」に行っているわけだから、練習を積み重ねていくほどにそれらの数値はどんどん高くなっていくわけだけど、そこには体調や天候などの環境も関係してくるし、常に自分自身が思った通りのパフォーマンスを発揮できるとも限らないはず。
そう考えると、常に自分自身が思った通りのパフォーマンスを発揮することが重要になってくるし、そのためには体調をうまくコントロールして常に良い状態へとしておく必要がある。そうすることで質の高い練習をすることもできるよね。
(天候は自分の力ではどうしようもないから考えたところで解決できない)
で、質の高い練習を継続することができるなら、それが大会当日と重なるなら、そのときのそれぞれの数値は高いものを示すことになる…
一つの木で考えてみたらいいんじゃないのかな。
パフォーマンスという太い幹があって、そこには練習や体調や環境など無数の枝があり、そこからさらに小さな枝へと分かれて葉がついているわけだけど、例えば「この練習がいい」とか「あの練習がいい」とかはあってもそれは葉であって、Vo2maxやLTなどもパフォーマンスを向上させるための葉なわけ。
葉にばかり意識が行っているけど、一部にばかり葉がついていても見栄えは悪いよね。他にも枝葉はあるわけだし。
それらが大切なのは間違いないんだけど、とりあえずそれは一旦置いておいて。
ランニングの動作は体重移動の連続が何千回何万回と繰り返されるスポーツで、体重移動中は不安定の連続だし、その不安定の連続の中でいかにそれぞれの姿勢へとスムーズに移行していけるかが大切で、両足を地面へ付けた状態で身体を維持しようとするトレーニングをたくさんやったとしても、それぞれの姿勢への移行が安定して行えているとトレーニングの成果が出るんじゃないのかな。
一歩を踏み出すという動作の繰り返しなのに、その一歩にほんの少しでも無駄な動きがあると積もり積もって大きな無駄なエネルギー消費につながるわけだから、その何気ない動作を洗練しておくほうが必要だよね。
身体を固定させるためのトレーニングではなく、不安定な状態でも身体を安定させるためのトレーニングのほうが必要かもしれないよ。
教室やクリニックでたくさんの人達の走り方を見ているけど、「体幹トレーニングをしています!」と言っている一般ランナーほどランニング中の体幹部分には“しなやかさ”がなく、動きが硬い(小さい)人が多くいるように感じるからね。
これもまた、みんなが気にしている枝や葉の部分とは違う枝や葉の話。
我流でもできてしまうほど単純動作を繰り返すスポーツだけど、その単純動作の中には洗練しないといけない部分があったり、力を入れたり抜いたりしないといけない部分があるから、思っている以上に難しいスポーツだと僕は考えているけど。
押さえるところを押さえて練習をしていけば、あれやこれやと数値にこだわらなくともパフォーマンスは向上していける。
こんなときだからこそ!
固執してしまっている「そういったもの」を一旦忘れて気ままにジョギング(ランニング)を楽しんで、自分自身が本来持っているかもしれない可能性を引き出すこともできるはず。