2020年 4月 29日(水)
ランニングをしている人達の間では「マスク着用の意義」が目下の課題とされているけど、そもそもはマスクを着用してランニングをすることがどうこうの問題ではないって忘れてるのかな。
問題が一つ出てくるとそればかりに意識が向いてしまって、本当の問題をすぐに忘れるんだよね。
本来はランニングをしていることが問題なのに、「マスクを着用している」「マスクを着用していなかった」とか「マスクは着用しない」という話になり、挙句には「マスクを着用してトレーニングをすると…」なんて話になっている。
どれだけ本来の課題から意識を逸らしていけば気が済むんだろう。
こんなことを言うのは反感を生む元だろうけど、自分の課題を克服するために練習をしてるんだよね。それなのにマスクがどうこうに意識が向いていて自分自身の課題に集中するどころか、練習にさえ集中できていないんじゃないかな。それよりも練習をすることに適している場所かどうかということは完全に頭から抜け落ちているとしか思えない。
(今がどういう状況かは言うまでもないでしょ)
そもそもトレーニングというのは限られた時間、限られた場所で行うもの。
限られた時間というのは時間帯やトレーニングに充てられる時間のことだし、限られた場所というのは環境や空間のこと。
ランニングをしていない人達が多くいる時間帯や場所はトレーニングに適しているとは言い難く、人がいないとはいっても歩道など交通量の多い場所でトレーニングをしていても問題がある。
トレーニングに適した場所(競技場など)で練習をしている人を除いて、公園や信号などが少ない一般道を利用して練習をしてきた人達は今の問題がなくても練習をする場所は考え直してもらう必要があるけど。
自分が属している集団の中で速く走れるようになったとしても、それはあくまでも自分と自分の周りにいる人達の中ですごいだけであって、その集団に属さない別の集団からしたら何もすごいことはない。
(もっと速い人もいるから当然だよ)
これは何もランニングをしている人達だけの話ではなく、ランニングという集団とランニング以外の集団で考えても同じことが言える。
いくら大きな大会に出たことがあったとしても、いくら速く走れるようになったとしても、ランニングをしている人達の常識がランニングをしていない人達のことを考えない、寄せ付けないようでは良いイメージなんて持たれるわけがない。
こんな状況になっても自己ベストを目指すために環境やメニューに工夫をしてトレーニングをしているならまだしも、これまでと同じように練習をただただ続けているようなタイプにはパフォーマンスが向上したとしても称賛の声を送るつもりもないし、限られた時間の中で結果が出せるように工夫を凝らそうとしないと行き詰まるのも目に見えているから、そういうときに誰かが救いの手を差し伸べてくれるはずもないね。
誰もいない時間帯、誰もいない場所。
今はそういった場所を探す必要があるし、その見つけられた場所で自分の課題を補うための練習を考えていこうじゃないの。
ランニングを始めようとする人、ランニング初心者、いつも走っているだけの人達は練習をする時間帯や場所から考えていこうね。