2020年 5月 23日(土)
具体的な練習のサンプルが見つからないから、自分よりも走れる人や周りの走っている人が「〇〇kmを〇分〇秒でやりました」というツイートを見たら「なるほど。やっぱり〇〇kmが必要か。」と思ってしまうんだろうけど、「でも自分には〇分〇秒は無理だから自分にできるペースで〇〇kmを走ろう」と思ってペースを落として距離だけを真似しようとしてしまう。
意外とココが盲点で、距離が長い練習になればなるほど練習所要時間に差が生まれる。
先日、そのようにツイートをしたら「一緒に練習をすることで得られるものやどんな行動をしているのかと参考になることがあります。」とリプライがあったけど、その考え方には一理あるけど得策だとは言い難い。
一緒にやり切れるのであれば、それは本当にその通りだと思う。
でも途中までしか一緒にやれないというのであれば話は別じゃないのかな。
そういう人は「追い込んだら速くなれる」と根本的に思ってしまっているのかもしれないけど、練習の原則などを考えると問題があるから気をつけてもらいたい。
ちょっと考えてみよう。
途中までしか一緒に走れないのであれば離れてしまう間際は自分のことで必死になってしまっているから、一緒に走っている人を観察するほどの余裕があるとは思えない。
(一緒に走っている人を観察する余裕があるのなら離れるはずはないし、観察していて離れてしまうのなら練習にもっと集中するべき)
というより!
最初から途中で離れてしまうとわかっている練習に取り組むことは良くない。
離れてしまうということは失速しているということだし、失速するということは自分の実力以上のペースで走っているということだから、失速した時点(離れてしまった時点)で良い練習ではなくなってしまっているのだから。
本当に良い練習とは苦しくなったとしても最後まで自分のペースを保って走り続けられる練習のことだから、必死になって走っているかもしれないが肉体的に良い練習をしているわけではない。
集団(ペーサー・自分より走れる人)から離れても必死になって走ることで得られるのは「自己満足感」と「自分の回復力を大きく上回ってしまった疲労感」がほとんどを占めていて、「すごく追い込んだ!」と自分で思っているほどの練習効果は出ていないということ。
この練習パターンを繰り返していたらパフォーマンスの向上は微々たるものだから、自己ベストを出すという目標は夢のまた夢になってしまう。
それよりも自分の回復力を大きく上回っている疲労が少しずつ蓄積されていくことになるので、近いうちに身体のどこかを痛めることになるということも考えられる。
(身体を痛めることがなかったとしてもパフォーマンスの向上は微々たるもの)
さて、それでもこの練習パターンを繰り返すのか。
なので僕の練習を参考にするなら次のルールを守ってもらいたいかな。
・走行距離よりも所要時間を参考にする
・所要時間内で自分のできるペースで走る
・途中で違和感を感じたら走行を中止する
・途中で余裕を感じたとしても最後までペースは守る
・翌日は必ず休養日
これは距離走だろうとインターバル走だろうと同じ。
例えば、僕が1kmを4分ペースで5本ぐらいやっているのであれば、4分以内で走切れる距離を5本をするってこと。
・強度を上げるなら翌々日に疲労が抜けきっている場合のみ
具体的な数字で練習を説明することはできないのは走力レベルに個人差があるからなので、このルールを守って練習をしていけば少しずつかもしれないが走れるようになれる。
だって、同じ練習時間内で1mでも長く走れるようになるとしたら、それは少しだけかもしれないけど走れるようになったということ。
(同じ時間で走れる距離が伸びたら、同じ距離を以前より短い時間で走れるということなので速くなったと言える)
一緒に練習をすることが必ずしも良いとは限らない。