2020年 6月 12日(金)
noteに「アイシングで疲労蓄積の軽減を。」という記事を書いていて思ったんだけど、みんなが手に入れたいものは「練習やケアなどの情報」なのか「誰かが練習やケアなどを実践して得られた成功体験の情報」なのか、どちらを欲しているかがわからなくなることがある。
本当に手に入れないのといけないのは「練習やケアなどを実践して得られた成功体験」であって、誰かの成功体験をたくさん集めたとしても価値はそこまで大きくもなく、誰かの成功体験を真似したところで自分自身にも同じような成功体験が得られるとは限らない気がするんだよね。
誰かの真似をするということは本質まで実践できていない可能性があるからだけど。
たとえば、誰かが実践していた練習メニューを真似してみたところ、その人と同じ効果を得られたのか。
たとえば、「これが良いよ」と謳われた何かを実践したところで本当にその通りになるのかどうか。
もしかするとそれを実践して効果が現れ始める頃に次の新しい情報が発信されるかもしれない…こともある。
要するに手に入れる必要があるのは「情報」ではなく「成功体験」。
そのために「情報」を欲しているのかもしれないけど「情報」は「成功体験」を得るための手段の一つに過ぎず、何かを実践したから成功体験を得ているわけなので、自分の想像したもの(できないことができるようになったことや痛みから解放されたなど)を得るために工夫を凝らすのが「情報」とされる部分であり、その「情報」が自分自身に合うか未知数なものを実践するよりは自分自身で考えたものを実践して自分から「情報」を生み出したり、実践したものをすでにある「情報」と照らし合わせたほうが「成功体験」や「失敗体験」をより感じることができるというもの。
自分が必要な情報を取り組む前から収集するより、まずは自分で実践してみて手応えのない部分や違和感がある部分を補うために情報を収集してみよう。
考える前にまず身体を動かし、身体を動かしながら頭を使って修正を加えていくほうが、いろんなことを体験することができるはずだけど。