2020年 1月 8日(水)
限界を超えろ!
どこかで誰かが言っている言葉
言葉はちゃんと使ったほうが良い。
ここ(2019/12/27)でも書いたけど、もっともらしい言葉を当たり前のように使っている人が多くいて、その言葉は何か大切なことを省いてしまっているから本来の意味とは違っていることがある。
「限界を超えろ!」はその代表かもしれないって思ったから書いたんだけど…
この「限界を超える」はどういう意味で言ってるのかな~って。
レースの後半、追い込むような練習中に「ガンバレ!」と声をかけるけど、僕は頑張っている人に「ガンバレ!」と当たり前の声をかけるのは酷じゃないのかなって思うから、僕はできるだけ応援をするときには「ガンバレ!」って言葉は使わないようにしている。
で、熱烈な応援を自分目線でしている人達を見かけると「気合いや根性でどうにかなるものではないと思うんだけど…」と思ってしまうわけです。
この「限界を超える」は2種類あって、「肉体的限界を超える」のと「精神的限界を超える」のでは意味が大きく違うことを理解しているようで理解していないから、平気で「ガンバレ!」とか「限界を超えろ!」という言葉を使うんじゃないのかなぁ。
そもそも「肉体的限界」が来てしまったら、それ以降は現状のペースを維持することも難しくなってしまうし、「肉体的限界」を迎えるということは身体が思うようには動かず、足が攣ってしまったり足を痛めてしまったりするリスクを引き上げる。
ランニングフォームがスタート時とは違って大きく崩れている人は「肉体的限界」を迎えている証拠だし、そのような状態の人に「気合いだ!」「根性だ!」「ガンバレ!」「ゴールはもうすぐだ!」と限界を超えさせるのは「ケガをしろ!」「足を痛めてでもゴールまで走れ!」と遠回しに言っているような気がする。
そうなると「んじゃ、応援ができないじゃない!なんて声を掛けたらいいんだよ!」と思う人がいるだろうけど。
応援というのは「選手が持っているパフォーマンスを最大限発揮できるように」もしくは「その日を良いものと言えるように最善のパフォーマンスを発揮させるため」だったりする。
だから「ガンバレ!」という応援が最善ではなく、肩に力が入っているんだったら「肩に力が入ってるよ!力むな、力むな!」とか「この先で向かい風になるから油断するなよ!」とか、選手が走りやすくなるように声をかけてあげるのが良いはず。
チームメイト(ラン友)の応援をするなら、いつもの走り方と違うって気づけるよね。
(気づけないなら一緒に練習をしているときに何を見てるんだってことになるんだけど、それは別の問題だから今日は触れないでおきます)
さぁ、本題!
「限界を超えろ!」は「精神的限界」を超えるためであって、大会や練習に対してネガティブな人に対して声をかけるときに使うものじゃないのかな。
身近にいると思うけど、「これ以上は無理!」や「だってしんどいもん」と言って自分の限界と決め込んでいる人や、一生懸命に走っているけど走り方どころか呼吸も乱れずに走っている人っているはず。
そういう人達は意識的に「これ以上はやれない」とか「そんな速いタイムなんて…」と思ってしまっていて、チャレンジするということを放棄してしまっている場合がある。
そういった人達には「限界を超えてほしい」という願いを込めて、「もっとガンバレ!」とか「まだまだ走れるよ!」と声援を送るのは間違いない。
自分自身やチームメイト(ラン友)がまだまだやれる実力を持っていて、それなのに本当の力を出し切れず、消極的な練習や言動をしていたら「精神的限界」を超えるために、彼ら(彼女ら)のやる気が出るような声をかける必要はあるよね。
ただ単に声をかけたら応援というわけではなく、走る人が持っている力を最大限に発揮できるよう声をかけるのが応援。
「僕(私)はこうやって声をかけてもらえたら元気が出る」はあくまでも自分目線な話。
本当にチームメイト(ラン友)が自己ベストを出してほしいと願うなら、チームメイト(ラン友)が最高のパフォーマンスを発揮できるように声をかけてあげる必要があるんじゃないのかな。
だから僕の応援は「ガンバレ!」ではなく、「リラックスしていこう!」や「無理しなくていいですよ!」というやる気を促さない脱力感溢れるものばかりだったりするわけだ。
限界を超える!
肉体的限界を超えられるなら誰も怪我はしないし、自己ベストだって毎回のように更新し続けることができるはず…
応援はサポートだから良い記録で走ってもらえるように、しっかりと心のこもったサポートをしてあげよう。
根性論でどうにかなるのは最初のうちだけ。
ある程度の期間が過ぎたなら根性論は通用しないし、次に必要なのは効率の良い方法を実践することだけど、その効率の良い方法は自分では気づき難いから周りの人が指示してあげる必要がある。
限界を超えるのは「肉体的限界」ではなく「精神的限界」だということを理解して、サポートする人はしっかりと声をかけてあげようね。