2020年 1月 26日(日)
走り込み…か。
今日の大阪国際女子マラソンでも言われてたね。
「1ヶ月に1400kmも走り込んできたそうですよ」って。
そんなに走ったら確かに走り込みだけどさ…。
たぶん、テレビ観戦をした人はその話を聞いて「1400?」と思ったかもしれないし、それが自分自身にとって現実味のない数字だと思っただろうけど、「やっぱり走り込みって大事なんだな」って思った人もいるはず。
でも、こういう言葉を聞いて勘違いをしてしまう人達がいて。
1400kmという途方もない距離を練習してきたのには違いないんだろうけど、常に1400kmという距離を走り込んできているわけではなくて、トレーニング期に当たる時期にそれだけの練習量をこなしてきたということを知っていないとダメだよ。
大会直前に1400kmという練習量をこなしてきたわけでもないってこともね。
それに練習量だけではなく、それ相応の練習強度で練習をしていることも忘れちゃいけない。
ベースとなっているのが何kmかは知らないけど、追い込まないといけないといわれる期間にそれだけの練習量を消化してきたってこと。
僕の大学時代であればベースは月間700km台。
合宿期間に入ると1000kmオーバーだったけど、ただ単に距離が増えただけではなくて強度も相応に増していて。
これを一般ランナーのレベルまでに落とし込んで考えてみると…
たとえば、毎月300kmぐらい走っている人が「走り込みが大事だ!」と言っていたとすると、その人にとっては300kmはいつものことだから、改めて「走り込み」という言葉を使うのであれば走る量が増えないと走り込みとは言い難い。
「走り込み」というぐらいだから練習量はもっと増えないといけないよね。
要するに、月間の走行距離が変わっていないのに距離走の回数だけが増えたのであれば、それは走り込んだというより「練習メニューに手を加えただけ」で、練習量が増えたわけでも練習強度が増したわけでもないから走り込みではないってこと。
だからといってそれが何km増えたら走り込みかは知らないけど…
こういった認識の違いが解説者や観戦者には起きていて、認識のズレはテレビや雑誌(ネット記事)などでも起きているし、そのズレてしまった認識をさも当たり前のように思ってしまっているから問題が起きているわけなのだ。
その認識を修正するために教室やクリニック、座学を開催している理由なのです。
僕は僕のやっていることで走り込ませようなんて思っていないから、「あの人ってあんまり走らせないよね」という認識も修正してもらえるといいなぁ。(笑)
僕の場合、走る量より強度のほうが厳しいですよ。