2020年 2月 26日(水)
ようやく大規模イベントの中止や延期を政府が要請したね。
早い判断だとか遅い判断だとかを言い出したらキリがないけど、これであれやこれやと賛否両論だった開催の有無について当面は落ち着くのかな。
開催しても中止にしても何か言われるし、代替案を出しても何か言われて、政府が方針を打ち出したとしても何か言われる…
はっきり言って何かを言いたいだけって感じがするね。
マラソン大会へ出場する選手にできることは無事に開催されるように練習を積み重ねたり、これ以上の蔓延を防ぐために各自で防衛策をしっかりと実践して最善を尽くすだけ。
大会である以上、出場する人は選手だから「選手ではない」なんて言い訳は要らない。
それはさておき。
ついに政府から「大規模イベントの中止・延期要請」が出たわけだけど、どこかの大会のアンバサダーが「もっと早くに発表してくれてたら…」と言ってた内容に少し思うことが…
アンバサダーというぐらいだから他人に対する影響力が強いわけだけど、「熱狂的なファン」という立場から考えると内容としては気にならない。でも、マーケティングとしてのアンバサダーという立場だったら「大会の良さを伝える」とか実質的な営業部(広報)として集客をサポートするのが役割だから、どの立場からの発信だろう…と考えてしまったんだけど。
考え過ぎか。
それとは別に「問題解決のために一致団結しよう」という組織の危機管理は、ほぼ間違いなく失敗するという記事を見かけたりして。
話はかなり省いてしまうけど、一致団結を掲げると「組織論理を優先する」こととほぼ同義であるため、危機管理において最も重要な「自分たちが置かれた状況を客観的に俯瞰(ふかん)する」ことができなくなってしまうということが起こるらしい。
なるほどね。
「プロは勝って和ができる。アマチュアは和があって勝つことができる。」と教わったことがあるけど、「僕らのチームワークは抜群だ」と当時は思っていたが実際にはチームワークを強調するようなこともなかったし、「各々が果たすべき役割をしっかりとこなしていけば負けることはない」と思っていたから本当に負けることはなかった体験がある。
それとは反対に、敗戦を喫したときほど「チームワークを大切に!」とか「チームワークで!」なんて口々に言っていた体験もある。
さて、そうなると…
こんなご時世に自分達ができることと言えば「一致団結して!」ではなく、問題解決へ向けて個々人が「何をやるべきか」「どうするべきか」をしっかりと考えて、一人一人が自分自身に与えられた役割を一生懸命に全うするべきじゃないのかな。
それが結果として「一致団結」になるんだよ。
僕がいたチームはそうやって敗戦を乗り越えてきたし、自分達が望む最高の形を得ることができたという体験を大切にしたいな。
まぁ、メンバーに恵まれていたということもあるけど、一人一人が「何をやるべきか」「どうするべきか」を的確に把握して、目標へ向かって一直線に最短距離を努力できた結果であるかもしれない。
当然ながら報われない努力だってある。
努力は「目標実現のために心身を労してつとめること」だけど、目標へ向かって闇雲に頑張ることではなく、目標へ向けて努力していく中で成功と失敗を繰り返し、「どうすると自分が望む形になって、どうすると自分が望まない形になるか」を感じ取り、そこから「自分自身にできること」を具体的なイメージとして生み出して実現させることを言う。
「僕(私)はやってきたことを精一杯やったんだ」としても、望んだ結果を生み出すことができなければ努力だって水の泡となるんだから。
自分のエゴだけで動いてはいけない。
ひねくれた感情だって要らない。
「これまで通りに開催を!」と本当に願うなら「何をやるべきか」「どうするべきか」を考えないと。
そう思いながら一日でも早く終息するようにしていきたいね。