2020年 3月 2日(月)
真似をしないといけないのは練習内容や出場スケジュールではなく、走ることに取り組む姿勢や考え方の部分。 レベルの違いから 「〇〇km走った」とか「こんな練習をした」には得られるものなんてさほどない。
というのも、テレビでマラソンや駅伝の中継を観ていたら解説者が「〇〇km走った」とか「こんな練習をした」 と説明をしてくれるけど、だからといってランニングを楽しんでいる一般ランナーが「なるほどね」と参考にするほどの内容ではないと前々から発信している。
女子マラソンでは 「〇〇km走った」とか「こんな練習をした」 と解説者が説明をする場面が多々あるけど、男子マラソンでは解説者が練習について触れることはほとんどないって気づくはずなんだけど…
同じ競技なのに別世界を覗くかのように観戦していたら気づかないか。
これも前から言っているけど「練習は確かに大事」なのは間違いないし、トップクラスの選手達がやっている練習を参考にすることも間違いではないけど正解とも言えないし、参考にならないところを真似しようとするよりも真似できるところを真似したらどうなのかなって思うの。
「ケニアへ行ってこい」なんて無理だろうし、月間走行距離や練習強度なんてレベルが違い過ぎるから真似するなんて無理だしね。
でも、大会に懸ける意気込みや大会での目標の立て方などは参考にできるんじゃないのかな。それを参考にできるようになったら練習のやり方も変わってくるし、本当に「走ること」に対する捉え方が変わってくるはずなんだけどな。
具体例もないから理解し難いかもしれないけど、プレスカンファレンスや大会直前の番組・大会当日の差し込みから読み取れることはあるのに、「新しいアルファフライだ」とか「自粛と言われたのに沿道には応援がいっぱいだな」とか「〇〇km走った」や「こんな練習をした」 などの解説者の話にしか意識が向いていないのは時間がもったいないと思う。
だから、東京マラソンの事前会見をちょこっと書き出しておこう。
ケニアでも、やることは変わらないのだが、より練習パートナーがいたり、より標高が高い(環境だったりするなかで)なかで、今まで通りにいい練習を積むことができた。また、ケニア人選手が練習パートナーであっても、「ここまで彼ら以上に走れるんだ、彼ら以上に走り込んで、彼ら以上に質の高い練習ができるんだ」と非常に自信になった部分は、今回行ってよかったことの1つかなと思う。(ケニア行きは、これまでにない取り組みであったが)自分を動かす力の1つとなったのはMGC3位という順位だった。(遡ってみれば)アメリカに移住するきっかけになったのがロンドン五輪での敗北だった。そういう(姿勢は)変わらない自分であることも自信になっている。
(MGC3位という結果は)
2番で決まっていればオリンピック代表に内定していたという意味では、逆に悔しくないというのがウソであって、その悔しさがあって次に進めているという面がある。非常にいい経験になったというか、今のエネルギーになっているというか。僕自身は、その悔しさをプラスに捉えられているかなと思う。(2時間05分49秒の設定記録クリアなるかについては)
設定云々というより、(そもそも基準となった2時間05分50秒は)僕自身の記録。もちろん気象条件やペースにもよるが、練習の感じから見ても不可能ではない。最近の陸上界の流れや雰囲気からして、僕自身も緊張感をもってやっているが、誰が来てもおかしくない状況ではあると思う。(自分の記録を上回ることを目指して、みんなが走ることになる点を、どう感じるかとの問いに)
いつもの大会と同じように、「なるべく誰よりも速く走る」ということにしか集中していないので、自分のタイムが設定タイム(の基準である)ということについては、あまり考えていない。(想定するレースプランについては)
当日の気象条件やその場の雰囲気が大事になってくるので、なんともいえないというところである。(目標タイムを、2時間??分??秒と記載した理由は)
東京マラソン2020 事前会見レポート(大迫選手)より抜粋 → 引用元
いつも言っていることは同じで、(マラソンは)自分自身の戦い。当日の気象条件とかレースとかによっても違うが、ただ単に1つ言いたいのは、「なるべくトップ争いに絡むような努力をしていくこと」。それを目標に頑張っていきたいなという思いから、(目標タイムは)「?」とした。
僕が気になったところは色を変えた部分で参考にしてもらいたい部分でもある。
彼はどの質問に対しても「気象条件」や「レース条件」を口にしているし、「自分自身(大迫選手本人)がやってきたことを出すだけ」という決意が言葉の節々から伝わってくる。伝わってくるということは、大会へ向けてこれまでやってきた練習に自信があるということでもある。
そういったことを踏まえて読み解くと、設定記録クリアについての質問でも「練習の感じから見ても不可能ではない」と言えるわけだし、その設定記録をクリアすることは想像できても「どこまでやれるか」は未知数なので答えなかった(答えられなかった)とも考えられる。
これをどう考えるかは読み手の思考力・理解力の問題だけど、自分自身のレースプランと置き換えてみたら…
「目標タイムは〇時間〇分(サブなんとか)!」や「このペース(〇分〇秒)で走れるところまで!」みたいなレースプランを立ててない?
気象条件やコース条件を無視(軽視)して上記のレースプランを立ててない?
「そこから失速しても、失速を食い止めたら自己ベスト!」とか考えてない?
あくまでレースプランは「過去の自分を越える(自己ベストを出す)」を第一に考えるものだし、レースが始まって「過去の自分を越える(自己ベストを出す)」ことが確定したのであれば「いかに目標としているレベルへ近づけるか」になるんだけど。
解りにくいかもしれないから簡単に。
多くの一般ランナーは「目標タイム>自己ベスト」と考えているし、トップクラスのランナーほど「目標タイム<自己ベスト」を考えているってこと。
過去の自分を越えられるかどうかも不確定なのに、過去の自分以上を目標にしていることはさらに難易度が高くなるはず。
そうなると練習のやり方だって変わってくるし、目標設定という概念だって変わってくる。
(これは先日の「ペース設定とペース配分講座」でやったから触れません)
練習で「今の自分にならやれる」という自信を掴めないような練習をして、練習は本来だと自信を生み出すためのものなのに不安感を生み出しているだけになっている人がいて…
練習で掴んだ自信を持ってスタート地点へ立ち、気象条件・コース条件・レース展開に合わせて自分自身のパフォーマンスをいかに発揮するかを考えないといけないのに、根拠もない自信を元に気象条件・コース条件・レース展開を度外視したレースプランを立てている…
そういうこともあって 真似をしないといけないのは練習内容や出場スケジュールではなく、走ることに取り組む姿勢や考え方の部分。 レベルの違いから 「〇〇km走った」とか「こんな練習をした」には得られるものなんてさほどない。 と冒頭に書いたわけなの。
「彼らと僕(私)がやっているのは別のマラソン」と考えて触れないでおくのか、「なるほどね」とか「確かに言われてみたら違うなぁ」と受け止めるのかで今後の結果が変わることになる。
本当に目標タイムをクリアしたいのならどっちを選ぼうか…