2020年 4月 1日(水)
コントロール下に置かないと…
フリーダイビングやトレッキングをしている方とお話する機会があって、いろいろと情報交換をしていくうちに「コントロールできていなかったら何もうまくいかないよ」という話になり。
その方は多くのジャンルの方々と交流があり、フリークライミングをする人でもヨットへ乗って世界一周をする冒険家でも、ダイビングでもトレッキングでも必ず自分が進むルートを確認して、自分自身にできることを把握して、それに備えてトレーニングを積み重ねていくことが共通しているし、想定していないことが起きた際にはすべてをコントロールできていないということになり、そういう人達は考えていた行動を回避して安全なルート(行程)へ舵をとることも共通していると教えてくれた。
ランニングもそうでしょ?
そう言われて少し考えたけど、学生時代に目標へ向けて練習をしていた頃は言われているように「自分が進むルートを確認し、今の自分の実力を把握して、それに向けて足りないものを補うため」に練習をしていたし、レースの途中であっても自分が走れるペースでしか走らないし、その中で限界ギリギリへ挑んだり高みを目指したりしていたな…と。
でも、教室やクリニックをしていて参加される方々とレースや練習の話をしていても、どうもレースや練習が自分のコントロール下に置くことができていないと感じることがよくある。
後半に失速しました。
途中で足が痛くなりました。
これらは完全に自分のコントロール下ではなくなり、どこまでペースが落ちるかも想定できないようになっている証拠だからね。
自分が進むべきルートを見失ってしまったとき、手をかけるところや足をかけるところを間違ってしまったとき、変な潮の流れに乗ってしまったとき、これらは決まって命を落とす…
「コントロールができている」と思っているのはペース配分を間違っても命を落とす危険性がないからであって、低体温症や熱中症になったことがないから危機感もないし、「そのため(対策)に練習をやっている」と思っていたら勘違いもいいところ。
後半の失速という事象に対して練習をしているのなら、最後まで失速することなく走り切れるはず。
走り切れないのは練習が足りないからではなく、距離に対してペースを維持できていないから、最後までコントロールしていないから起きているだけ。
最後まで保てる(コントロールできる)かわからないペースを初めから選んだのは、それは積極的や勇敢とは言わず、無謀と言われるだけ。
それなのに「あそこでペースが落ちなかったら」とか「足にこなければ」なんて話は原因追求ではなく、自分の理想や幻想を語っているだけ。
命を落とす危険性が低いから、そういうことを言ってられるわけだよね。
こういう話をすると「そこまで本気ではないから」と受け入れない人がいるかもしれないけど、これさえやっておけば大丈夫というものでもあるんだけど…
そういうことを学ぶには良い機会だと思うよ。
近いうちにオンライン講習会でもやろうかな。