2020年 4月 22日(水)
「ランナーはマスクをして走るのがマナーになってしまった」なんて嘆きツイートをしている人を見たけど、自分達の取っている行動が結果としてマナーという形を作ることになったって思ってない証拠だね。
こんな状況で周囲への気遣いを見せずにこれまでのような練習を続けていたら、いろんなことへ配慮しながら行動を取っている人達からすると怒りが込み上げても仕方がないことだと思うけど。
ソーシャルディスタンスやマスクの使用はマナーかもしれない。でも、マスクをしないで周囲への配慮もソーシャルディスタンスも気にしないランニングスタイルはマナーの問題ではなくモラルの問題じゃないのかな。
(平時でも近くを呼吸を荒げて追い越されると嫌なものだけど…)
そもそもな話だけど、ランニングは趣味だから不要不急の外出に該当する。
不要不急の外出を控えるようにって言われるようになったけど、ストレスが溜まったり運動不足や健康増進のために「散歩やジョギングは問題ない」という対処法が出ているわけだよね。
なのに「ランニングは大丈夫なんだ!」という解釈のずれが根本的な原因。
ジョギングは「呼吸が乱れない程度の人と話しても疲れないペースで走ること」を指すし、呼吸を荒げていたらそれは最早ジョギングではなくランニング。
(これがわかってないから問題の原因が生まれるし、コーチやグループの指揮を取っている人が理解していないならそこのチームやグループなど品が知れている…)
話を戻して、マナーになってしまったという考え方はそれだけ自己中心的(ランナー中心的という方が正しいかな)な考え方をしていたということ。そういったことに対して最初からモラルがあれば問題になったりはしない。
いつものようにマナーとモラルの違いも説明しておこうか。
【マナー】
態度。礼儀。礼儀作法。
【モラル】
道徳。倫理。人生・社会に対する精神的態度。
マナーは客観(社会・集団)から形式付けられる行動パターンのことで「常識」とされることが多く、モラルは個々人の主観としての道徳・倫理(あくまで自分の体験、憶測から生じるもの)。
周囲への配慮が必要だとソーシャルディスタンスやマスク着用を推進されているのに、個々人の主観的な感覚(これまで通り)で居続けるから反感を買い、そのモラルの欠如がやがて問題となってマナーができあがり、それでも歯止めが利かないからマナーよりも厳しいルールが生まれるんだけど…
いつか再開されるであろうマラソン大会へ向けた練習も確かに大切なのは間違いないし、トレーニングをするなら思い切ってやりたいとは思う。でも、時期が時期なだけに周りへの配慮はこれまで以上に必要じゃないのかな。
人と人とで争い合っている場合じゃないよね。敵は見えないほど小さなウィルスだし、今は誰もができることをやろうとしないと早期解決なんて無理な話。
散歩をしている人達だってストレス発散や健康増進のためだから、ランニングをしている人達の気持ちがわからないわけではないはずで、いろんなことへの配慮ができていないからこそ声に出して言われるんでしょ。
散歩の人達や歩いている人達だって最低限の配慮は心がけているんだから、自分の好きなことをやっているランナーも社会へ対する最低限の配慮を心がけていかないと。
平時に戻ったときにランナーが批判させるようなこととならないように、自分一人の身勝手な行動はできるだけ避けて、今は歩調を合わせて解決していかないといけないことだと思うけどなぁ。
だから、「言わせておけばいい」というのは問題視していないということだろうし、そこへいちいち噛みついているのは多少の自覚はあるようだけど自分本位が優先している証拠。
こんな状況になったとしても今まで通りの感覚でいる人は今の惨状を嘆いているばかりだよ。
「ランナーにとって厳しい状況になりましたね」だって?
自分達で自分達の首を絞めているってどうして気づこうよ。
別に異論や反論があっても構わない。
1人でも多くの人が「これはやばい…」と危機感を感じないことには今の環境もこれからのランニング業界も、きっと明るくなんてならないって僕は思っている。
こんなときにこそ、プロランナーやトップクラスの選手達の発信力が問われるんじゃないのかい?結局はプロランナーもトップクラスの選手達も自分本位な考え方のままなのか?
もしそうだとしたら、陸上競技で観客席いっぱいにするのは夢のまた夢だな…