2020年 4月 27日(月)
全国高校総体(インターハイ)の開催中止…
こればかりは今の学生達だけではないんじゃないのかなっていうのが僕の考えかな。
確かにインターハイ出場を目標に練習を頑張ってきたんだろうけど、「それをやるためにいろんなことを犠牲に…」なんて言うが本分の勉強も犠牲にしてきたのかって思うし、学校の代表になれるレベルの生徒は出たかったかもしれないが代表になれない生徒だって毎年いるんだから、「出られないことが悔しい」は毎年のように感じている生徒も少なからずはいるってことを忘れないでほしい。
関東の大学へ進学した多くの陸上部員達は100人を超すチームの中で10人しか走れない1年に1度の駅伝大会へ向けて日頃から練習を積んでいる。泣くほどつらいときだってあるし、思い通りに走れないことだってあるし、無理が祟って足を痛めてしまうことだってある。そうやって激しい生存競争の中で10枠を争っているわけだけど、運よく選ばれるのは毎年10人だけっていうものは変わらない。
「大会は開催されているじゃないか!」と思うだろうけど。
甘ったれた話をしてるんじゃないよ。
わざわざ地方から進学をしてきて日の目も当たらずに終わっていく選手達がいるのは似たような気分だし、挙句には自分のチームが出場しているのにも関わらずコースで走路員なんてものをさせられて、チームの応援どころか自分が賭けてきたものに対して背を向けて立っている辛さを想像できるのか。
大会が開催されていようとも走らせてもらえない辛さだって大会そのものがなくなった辛さに何ら遜色はないぞ。
本来は走れる力を有していながら前日にエントリーから外され、「本戦では必ず…」と悔しい思いを噛み締めながら待機していたら、結果として本戦への出場そのものがなくなった辛さを味わった僕だから言える。
そんな中で「大げさだって言われるだろうけど涙が止まらん泣くなら負けて泣きたかった『これまでの努力は人生の糧になる』なんて無責任に言わないでほしい。確かにそうなんだろうけど、こっちはそんなのじゃなく今までの悔しい思い全部ぶつけるためにこの総体にかけてたんだ」というツイートを発見(原文まま)。
ふむ。言いたいことはわかる。
だけど諸先輩方は経験談から言ってくれている。
でも「泣くなら負けて泣きたかった」ってどうして負ける前提で意見を述べるのかなって思うから「負けて泣くぐらいなら勝って泣け」と思うので、勝ちも負けもつかないから泣く理由としては十分過ぎる。
他の都道府県がどうだか知らないけど先生達がこのような事態を想定して動いてくれているという話も聞いているし、泣いて拗ねている時間があるなら「救済措置があるかもしれない」と思ってトレーニングを続けるしかないと思うんだけどなぁ。
それがスポーツ選手ってものだろ。
そもそも泣いてて誰かが何かしてくれるのか。
泣いて解決するんだったらそうしていたらいい。
もし仮に今の状況が多くの人達のこれからの行動によって一日でも早く落ち着きを取り戻すことになったとき、今の状況にも挫けないで変わらない努力を続けていたら、どこかの誰かが「めげずに頑張ってきた彼ら彼女らに舞台を!」と声を上げてくれるかもしれない。
形は違うかもしれないが、僕でも力になれるかもしれない。
やってやれないことはない。
やる方法はある。
今の状況にくじけて今までのものを放棄するような選手達に「活躍の場を作ってあげよう」というのは優しさではなく甘やかし(お膳立て)なんだから。
人参をぶら下げられないと頑張れないのか。
自分達でつかみ取ろうとする行動すらできないぐらいだから、「スポーツばかりやってきた人間は…」なんて揶揄されることになるんだよ!
今はつらいかもしれない。
目標とする大会がなくなってしまったのは学生達だけではなく一般ランナーだって同じだし、他のスポーツをしている大人達だって一緒なんだから。もしかすると延期されたオリンピックでさえこのままでは危ういかもしれない。
そうならないためにも一人一人が行動を慎むべきだよね。