2020年 5月 6日(水)
とある数値から算出された自分のデータで自分を知ったつもりになって、実際には自分がどれだけできるかを試そうとしないっていうのは問題が多くあるんじゃないのかなって思ったりする。
とある数値は最大酸素摂取量(VO2Max)だけど。
(以前に酸素摂取量について書いたから触れない)
自分を知ることが大切で「どれだけ自分ができるか」を基準にしてレースプランなどを立てる必要があるのに、「目標としているペースをどこまで保てるか」で自己ベストを狙うから緊張をするんじゃないのかな。
緊張は不安を感じることが原因となって生まれるけど、不安は「できるかどうかわからない」という想像できないことが原因となっている。
…できるかどうかわからない?
できるかどうかわからないことをできるようにするために練習をしているんだよね?
練習を積み重ねて「これぐらいならできる」のレベルを少しずつ少しずつ高めていって、その「これぐらいならできる」が目標としているレベルに到達することで自信となって緊張感を払拭できることになるわけだが…
練習の中で「これぐらいならできる」が目標としているレベルに到達していないのに、大会で目標としていることを実践しようとしているのはおかしいよね。
そうなると「後半失速してしまった」が大会の反省ではなく、「なぜ、できもしない可能性があるものを実践したのか」が大会の反省ではないのか。
「大会になると不思議な力が発揮されるから」という理由ならどうかしている…
もっと根本的なところにフォーカスして「これぐらいならできるというレベルをどうしてやらなかったのか」よりも「どうして大会までに自分自身が到達できなかったのか」を考えないといけないし、「どうしたら大会までに自分自身が目標としているレベルに到達することができるのか」を考え直す必要がある。
「それでも目標としているペースで走りたかった」というなら一か八かに期待したギャンブルレースを続けて楽しめばいいけど、「どうしてタイムが出ないのか」「失速してしまうのはどうしてか」を反省に挙げるのは論外…
そうなると「何のために練習をしているのか」になってくるし、そうなると回答は当然ながら「目標を達成するため」になるんだろうけど、本当のことを言うと「目標を達成するために」ではなく「現在の自分自身と目標にはどれぐらいの差があるかを知るため」であって「その差を埋めるため」なんだよ。
目標を達成するためには自分自身に〇〇が足りないから練習をする必要がある
それとも…
目標達成するためには〇〇秒ペースで走らないといけないからその練習をする必要がある?
本当に大切なのは「現在の自分自身と目標には〇〇秒の差があるから、これを埋めるために△△の練習をする必要がある。」だよね?
目標とする大会の目星もつけられない今だからこそ、目標としているタイムと自分自身にどれだけの差があるかを確認し、その差を埋めるために必要なものを身につけられるように練習を考える必要があるんじゃないのかな。
そこに「筋力」とか「ストライド」とか「ピッチ」というのであれば、もう一度、最初から読み直してもらったほうがいいかもしれない。
もう一度読み直しても同じように思うなら、何度も繰り返し読んでもらったほうがいい。