2020年 7月 6日(月)
これは考えるべきことですよ。
誰かと一緒に練習をすること(グループで練習をすること)にはメリットとデメリットがあることを理解する必要があるけど、それ以前にもっと考えないといけないこと(見直さないといけないこと)があるということを。
秋以降のマラソン大会がなくなってモチベーションの低下は顕著になったけど、緊急事態宣言が解除されたことによって集団で走ることができるようになって「仲間と一緒に走る楽しさ」を思い出したかもしれません。
それがモチベーションアップやモチベーション維持のためになっているのは良いことかもしれませんが、誰かと一緒に走ることで自分の走力以上のペースで走る機会が多くなり、それが返って疲労を蓄積する原因となってオーバートレーニング症候群になっている人達が増えたように感じます。
オーバートレーニング症候群になっていた人は以前からもいましたが、最近はマラソン大会がなくなってしまって練習に身が入らず、これまではできていた練習でも緊張感のなさからクリアできなっている人がいたり、誰かと一緒に走ったりすることで刺激をもらったつもりでもそれが一人で走るときのプレッシャーになっている人もいますよね。
これは集団で練習をするときのデメリットが大きくメリットを上回ってしまったケースです。
最後まで集団で走ることができたとしても自分の走力以上の走りをしてしまって一人で走るとき以上の疲労を蓄積してしまい、その疲労の蓄積が後の練習に影響してしまって満足に練習を消化することができなくなることや、集団から遅れてしまって「もっと練習をしないと」「なんて弱いんだ」と思ってしまって過度な練習をする傾向に陥ることがあります。
ここで集団で練習をしていたりSNSで全国にいるランニング友達に練習報告をすることで新たな問題が発生していることを見落としているケースもあります。
それは「そういうときもあるよ」「次にやるときはできるといいね」という励ましのコメントが自信を失った人にとって過度なプレッシャーとなっている場合があるということです。
周りの人達はその人のことを思って励ましているのかもしれませんが、自信を失った人に「もっと頑張ろう」と促すことによってその人にとって悪影響を及ぼしているかもしれないことを覚えておくべきです。
そうならないためにも声をかける側が「どうして走れなかったのか」「そういうときはどうしたら良いのか」を理解しておく必要があるし、それらを踏まえた上で声をかけてあげる必要があり、無理なトレーニングをやろうとしている場合は積極的に辞めるよう声をかけないといけません。
それでも「周りがやっているから」「休むと罪悪感があるから」「休んでいてはパフォーマンスが向上しない」と本人が考えてしまっていることもあるので、本当にその人のことを思っているのであればどのように声をかけてあげるべきかが見えてきますよね。
仲間って練習を頑張ろうと鼓舞するだけではありません。鎮撫することもまた仲間の重要な役割だと僕は思います。
励まし合い、労わり合い、時には宥め合いながら適度な距離感で一つの目標に向かってトレーニングに取り組み、その中で目標をクリアする喜びやつらさを共有し合う関係性であるべきです。
速い人の走りを見ることだけが「刺激をもらう」とは言いません。走力は関係なく、パフォーマンスを向上するために取り組んでいることすべてが刺激になり得ます。
「周りがやっているから」「休むと罪悪感があるから」「休んでいてはパフォーマンスが向上しない」と考えてしまっている人ほど休養に対してネガティブなイメージを持っていますので、思ったようにうまく走れないときは積極的に休養を取るように促してあげるほうが本当の優しさ(仲間想い)だと思いますよ。
自分自身もそういう状況に陥っているのであれば、休養などを挟んで心身ともにリフレッシュすることを心がけましょうね。